ー加古川教会ー
加古川教会の歴史は 1933年までさかのぼります。北海道の聖母修道院が聖母園創立のために八幡(やはた)に土地を購入したことから始まり、その後国包(くにかね)仮教会をへて、1951年現在のこの場所に移り、3年後に教会が建てられました。今の教会堂は
1995年に献堂されました。この時聖堂内にパイプオルガンが設置されました。
信徒数は加古川教会と西脇分教会合わせて約1,000人です。教区は大阪高松大司教区姫路地区東ブロックです。
またインド、ベトナム、フィリピンなどの外国人の信徒も大勢います。
ー西脇分教会ー
西脇教会は、戦後の復興期の頃にはじまり、高度経済成長期を迎える頃には、西脇・多可地域に山陰・四国・九州などの西日本一帯から織物工場で働くために多くの労働者が集まりました。その中には長崎(五島)からのカトリック信者も含まれ、次第に信者たちが集い、家庭でのミサに集うようになっていきました。
しかし、ミサ参加者の減少や信者の高齢化などにより、加古川小教区西脇分教会として、身の丈にあった新聖堂で喜びと感謝のうちにミサに参加しています。十字架のもとに絆を深め心を寄せ合い、信仰のともしびを守り続けていきたいと思っております。
ー高砂 働く人の家ー
「働く人の家」は1972年、播磨工業地帯で働く人への宣教と、JOC運動の輪を広げることを目的とした集会所として完成しました。当時、高砂・加古川には多くの青年労働者が地方から集まってきていました。その多くは大変厳しい労働条件の下で働き、寮での生活も人間的に尊重されたものではありませんでした。青年たちは仲間と自由に出会い、生活を分かち合いたいという願望が日に日に強くなっていきました。当時の加古川教会主任司祭フランソワ・ムッシェ神父に依頼し、青年たちの声を淳心会の管区長に直接伝え、現在の土地に全国で第一号の「働く人の家」が誕生しました。
以降、現在に至るまで「働く人の家」の精神は引き継がれ、地域の人々の学びや人間としての向上、グループの発展、そして地域とともに歩む場所として、多くの人にその存在が認められています。