スマホからは、画面上部にある 三マークから、各メニューがみられます♪
Click here for English Page (2025.5.11)
週報、更新しました! 今週の週報はこちらをクリック♪ (2025.5.11)
Bấm vào đây để đọc bằng tiếng Việt(Ngày 11 tháng 5 năm 2025)
私たちは毎年、四旬節の間、アレルヤ唱と栄光の賛歌を控え、復活徹夜祭で荘厳に歌うことが習わしとなっています。
四旬節は、洗礼を希望する方々にとっても、すでに洗礼を受けた私たちにとっても、信仰を深める大切な時です。
この期間を通して、私たちは神の憐れみ(御心)を改めて知ることができます。
その憐れみ(慈しみ・優しさ)の極みは、イエス様の復活に表れています。
父である神がイエス様の復活に込めた思いは、聖書のこの言葉に示されています。
「わたしの息子なら敬ってくれるだろう(マルコ12:6)」
この聖句は、一見すると神が人間に甘い期待を寄せているように見えますが、実は神の深い優しさを示しています。
神は人間を救うために多くの僕(しもべ)を送りましたが、
彼らの中には侮辱された者、殴られた者、さらには殺された者もいました。
それでもなお、神は「わたしの息子なら敬ってくれるだろう」と信じ、イエス様を遣わされました。
しかし、人間は「愛する息子」であるイエス様を犯罪人のように十字架につけてしまいました。
それを見た神はどうされたのでしょうか?
神は人間の予想を超え、イエス様を殺した人々に罰を与えるのではなく、
むしろ彼らのためにイエス様を復活させたのです。
ここに、神の計り知れない愛と優しさが現れています。
さらに、神はイエス様をご自分の右の座に着かせ、加害者のために執り成す務めをお与えになりました。
以下の聖書の言葉は、神のその不思議な御業を示しています。
復活を黙想する際に、ぜひ心に留めてください。
「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった(マルコ12:10)」
「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る(ヨハネ19:37)」
みなさん、キリストのご復活、おめでとうございます!
カトリック加古川教会主任司祭 カレンガ神父
カトリック大阪高松大司教区の 新ホームページは こちらです